悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

0-0)前書き)悟りとは

0-0)前書き)悟りとは

私は、長い間(20年以上)「悟り」って何なんだろうと疑問に思っていました。その疑問を解き明かしたいという思いから、様々な宗教関係の本を読んで来ました。宗教だけでなく、心理学、哲学、科学、脳科学、それと勿論、悟りを体得した禅僧などの体験談などもかなり読みました。それでも悟りについてストンと腑に落ちて納得が行く理論や説明には出会えませんでした。
所が、極最近、ふと「悟り」って、「宇宙原理」(法則)を「感知」(受信)できることなんだなあと思い至り、すんなり腑に落ち納得できました。
そのようにして「法を感知することが悟り」だという視点から、あらためて様々な説明や理論を眺めると無理なく納得できました。その結果、それらを体系的にまとめて統合した筋(ストーリー)が描けました。

ということで、私は、そのことを紹介したくて、この作品を書きました。その内容に関しては、できるだけ「具体」的に、「論理」的に、「科学」的に、しかも「脳科学」的に、「悟りって何なんだろう」を解説して行きたいと思っています。特に脳科学的に根拠を示しながら解説することを目指しました。
といっても、勿論、科学がまだ生まれる前に誕生していた宗教、哲学、体験談などなど、過去数千年来の先人の方々が苦労して体得された「経験に基づく知見」(経験知)もたくさん紹介しながら解説して行きます。

余談なのですが、「経験知」とは経験したことで得た知識、体得された知識のことです。それに対して、文章(言葉)や数値(数式)として表現し伝達できる形式の知識を「形式知」といいます。
悟りに関しても、過去数千年前からの、膨大な数の人々が、手探りで経験・体得された経験知が積み上がっています。それらの知識を科学的ではないと見捨てるのは余りにももったいないと思います。その時代には、それを客観的に表現できる用語が生まれていなかっただけです。しかも現代の科学的知見から読み直すと、これは科学的知見のこの部分を指し示しているのだろうと感じられる場合が多々ありました。ということで、それらの経験知も多用していきます。
注)作品の中でたくさんの方々の名前を挙げましたが、敬称は省かせていただきました。ご了承ください。