悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

1-1)宇宙原理、法(仏教)、道(道教)、ことば(キリスト教) 1-1-4)キリスト教の「ことば」とヘラクレイトスのロゴス

1-1)宇宙原理、法(仏教)、道(道教)、ことば(キリスト教)

1-1-4)キリスト教の「ことば」とヘラクレイトスのロゴス


キリスト教では、宇宙原理を一言で表わせば「ことば」(ロゴス)と表現していると、私には思えます。
新約聖書中の「ヨハネによる福音書」の冒頭の記述に、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」とあります。
この「ことば」を宇宙原理とすると、仏教の「法」、後で紹介する道教の「道」と同じものを指すといえます。
聖書にはこのような表現もあります。「だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます」と。この「わたし」を宇宙原理と読むと、わたし(宇宙原理)に留まれば、枯れずに永遠の命が得られると読めます。
なおキリスト教以前に、ヘラクレイトス(古代ギリシアの自然哲学者)は、「ロゴス」を「万物の生成を支配する永遠の理法」としました。彼は、万物は流転していて、自然界は絶えず変化していると考えました。世界の変化には、「反対物の対立」という法則(ロゴス:二項対立)があり、それが世界の「変化」を操り、世界の「調和」を保っているという。しかし、その背後に変化しないもの、ロゴス(法・宇宙原理)を見ています。「ロゴス」を最初期に「世界原理」(宇宙原理)としたのは彼です。