悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

2)過去の人々の(悟り)証言 2-3)「沢庵禅師」の「不動智神妙録」

2)過去の人々の(悟り)証言

2-3)「沢庵禅師」の「不動智神妙録」
「不動智神妙録」は、江戸時代初期の禅僧沢庵宗彭が執筆した「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物です。
「(一枚の葉に心をとられると残りの葉や樹木全体が見えなくなるから、一葉に心を止めず)「一本の木に何心もなく打ち向ひ候へば、数多の葉残らず目に見え候」という。
ある技術を教えられてそれを習い覚えてゆくに連れて、いろいろ考えてそれらに囚われて不自由になります。だがそれを堪えて研鑚を重ねて稽古を積むと、身の構え方、筋肉の使い方、道具の使い方などが研ぎ澄まされて無駄がなくなり、心(注意や意識)がかからなくなり、遂には無念無心(無意識)となります。これは「弓と禅」が実証済みです。この状態(ゾーン)は、スポーツだけに限らず、あらゆる行為に見られます。それを沢庵禅師は次ぎのようにいう。
「心をどこにも止めぬようにというが、それでは心をどこに置けばいいのか」と人が問いました。沢庵は、「何処にも置かねば、我身にいっぱいに行きわたりて、全体に延びひろごりてある程に、手の入る時は、手の用を叶へ、足の入る時は、足の用を叶へ、目の入る時は、目の用を叶へ、其入る所々に行きわたりてある程に、其入る所々の用を叶ふるなり」という。
「一所に止まらぬ無心こそ諸道の名人の極意」です。「無心」とは、心(意識)がないのではなく、留めることのない流れるような融通無碍な心(脳全体に延び広がる受動的意識)を指し示します。「執着」とは、逆に「心を留める」ことです。
注)「ゾーン」とは、集中力が極度に高まり、目的外の物事が意識の外に排除され、目的とする事柄へ向けて自分の感覚が研ぎ澄まされ、活動に没頭できる特殊な意識状態をいう。脳波的には、SMR波が主流となっている状況をいう。