悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

3)何故「法」を「受け取れない」のか 3-3)仏の自性は無自性

3)何故「法」を「受け取れない」のか

3-3)仏の自性は無自性
本来自己は仏なのに、自己は自我(人間)だと誤解して、固定的自我を自己(真の自己・最高階層)だと見誤っています。法(最高階層の法)は、固定的自我からの念(意識)では受け取れず、「念を消した無念」という状態(無念の念)でいれば、向こうから迎えに来ます、「来迎」します。無念無想になれば、如来の本願力に救い上げられます。だが自我が取りに行くと逃げて、無念夢想の思いで待つと、向こうから迎えに来ます。無念夢想の状態での謡いも舞いも弓道も茶道も、人為ではなく仏(無為自然)の行為(法の声)となっています。
「自性を証する」とは、本来の性質(本性)を証明する、証することです。別の表現で見性ともいう。「見性」とは、人間に本来備わる根源的な本性(仏性)を徹見する、体現することです。
無性とは、本来の性質(自性)は仏(無性)であるので、故に仏の自性は無性(無自性=空・無)です。無性(無自性=空=無)になれば、自然と仏として宇宙に遍満する宇宙原理(道・法)に包み込まれます。自然法爾です。悟りとは、無性(無自性=空=無)になることです。
無性(無自性=空=無)に関して、西田幾多郎は、「無が自己限定して有が生成する」という。意識(有)とは、無意識(無)を自己限定することです。だから、悟りとは、元の無(無意識)に立ち戻ることです。無(=空)とは、何もないのではなく、逆に全てが存在するが、それらは完全にバラバラ(極限にまで細分化された基礎要素)であり、有の状態が全くない状況を言い表します。宇宙の開始(ビッグバン)がそうでした。宇宙の開始は、無・空から始まり、結合と分解を繰り返しながらも、大勢としては、統合(有)が勝って行く方向へと進んで行きます。ちなみに統合が勝った方向へと進む理由は、宇宙の矛盾的自己同一性です。即ち結合力は、膨張力(拡散力)によって矛盾的自己同一として生み出されます。