悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

5-1)瞑想「プラティヤハーラ」と内向外向 5-1-2)「プラティヤハーラ」

5-1)瞑想「プラティヤハーラ」と内向外向

5-1-2)「プラティヤハーラ」
先ず最初は、瞑想の「準備段階」ともいえる「プラティヤハーラ」(感覚の制御)からです。この段階は、外側に向いている自分の感覚(五感、特に視覚)を制御して、心を内側へと向け返えます。感覚器官(五感)は常に外界に向かって働いていて、外界の対象に向かいます。つまり感覚器官は外界を知るための機能です。となれば先ず最初にそれらを意識の制御下に置きます。幼い子供達がするように、蝶々がするように、外にある興味の対象に次から次へと移って行く心を制御停止させて、内面へと向け替えます。
ではどうすればいいのでしようか。自分の内側に意識を集中させるためには、外部からの感覚刺激を遮断ないし減衰させる必要があります。手で塞がなければ、耳から音が入り、鼻からにおいが入り、皮膚から触感が入ります。それに対して最も簡単な方法が、「目をつむる」ことです。外からの刺激(感覚)を最少限に保つ瞑想では、目をつむることによって脳内にまずアルファ波が出現します。この「アルファ波」は、心穏やかでリラックスした状態で外界には意識が向いていない、つまり心が自分の頭の中にいることを表す脳波です。逆に、外界に意識が向いている時には、β波(ベータ波)の状態にいます。
注)人の五感での知覚割合は、視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚は1%です。だから目をつむることで8割の感覚情報(視覚情報)を遮断できます。しかし瞑想では半眼になることが多いようです。
注)脳波については、別の章(第六章のニ)でまとめて説明します。
半眼についてですが、精神が活発に意識的な活動をする状態と無意識な休息(睡眠)との中間地点にいる時、例えば、坐禅・瞑想中には、瞼は自然に重みを増して下垂し、完全に開いても完全に閉じてもいない位置にまで降りて来ます。これが「半眼」の状態です。目は口ほどに物を言います。脳の思考は、目の動きである眼球運動と密接に関係しています。
余談ですが、子供達による「だるまさんがころんだ」「坊さんが屁をこいた」の遊びは、内観(自分の心を深く見つめる)のやり方を教える遊びです。鬼(内観者)が木(電柱)に向かって目をつむりながら唱える言葉(お経を示唆する)です。後ろの子供達は、心の中の情報達で、鬼が目をつむっている(内観している)間は、心の中の情報が生き生きと動き回っています。ところが目を開けて外(外界)を見ると、心の中の情報達の動きが見えなくなって(止まって)しまいます。このような遊びや童謡や昔話は、坊さん達(特に旅僧達)が布教の一環として、子供達に伝えて来たものなのでしょう。