悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

5-5)観察瞑想と自我 5-5-1)「自我」とは

5-5)観察瞑想と自我

5-5-1)「自我」とは
仏教で、「我」(常一主宰)とは、人に限らずまた物に限らず、永遠に変化せず(常)、独立的に自立・自存(一)し、中心的な所有主(主)として、支配・統制能力がある(宰)実在を意味します。
それに対して、実際には、宇宙の全てのものにはこのような我がなく、また我ではないと説くのを「諸法無我」という。仏教が「諸法無我」というのに、人間には「自我」があり、その自我が、感覚・知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な「主体」として、他者や外界から区別(自存)して意識される自分だという。どういうことなのだろうか。ここからはそれについて考えて行きます。

仏教で、「我」(常一主宰)とは、人に限らずまた物に限らず、永遠に変化せず(常)、独立的に自立・自存(一)し、中心的な所有主(主)として、支配・統制能力がある(宰)実在を意味します。
それに対して、実際には、宇宙の全てのものにはこのような我がなく、また我ではないと説くのを「諸法無我」という。仏教が「諸法無我」というのに、人間には「自我」があり、その自我が、感覚・知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な「主体」として、他者や外界から区別(自存)して意識される自分だという。どういうことなのだろうか。ここからはそれについて考えて行きます。