悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

5-5)観察瞑想と自我 5-5-6)脱中心化 5-5-6-2)脱中心化とは

5-5)観察瞑想と自我

5-5-6)脱中心化
5-5-6-2)脱中心化とは
脱中心化とは、コペルニクス的転回です。コペルニクス的転回とは、コペルニクスが、天動説(地球中心説)を捨てて地動説を唱えた行為を意味します。このことで科学はキリスト教から離脱して行き脱中心化を果たしました。そしてそれがその後の発達・発展・進化をもたらす大きな要因となりました。というのは、科学は情報へのメタ認知機能を持ったからです。
先ほど出て来た脱中心化に対して、「自己中心性」(自我性)とは、自分と他人を明確(メタ認知的)に区別できない、自己から切り離された他者の視点を持ち得ていないのです。他者の視点を想定したり別(客観的)視点から見たりできずに、視点が常に自分に固定されていている状態です。自我(エピソード記憶)とはそういう視点なのです。
ところで、自分自身が考えている自己は、自分に対するイメージや思い込みで形成されます。それを「物語の自己」という。マインドフルネスを実践すると、その過去からのイメージや思い込みで詰まった物語の自己が意識(メタ認知)に浮上して、それを俯瞰的客観(メタ認知)的に観察できるようになることから、脱中心化が育ちやがて物語の自己が解消されまた抑えられ、その時々の瞬間を感じ取っていく(その時その時の)素(今ここ)の自己が高まります。ところが、観察瞑想をしていないと、自己(自分自身や自分の属する物事)に関わるマインドワンダリング(物語としての自己)に陥りがちとなる。
マインドフルネス・観察瞑想を実践すると、内側前頭前野(前頭極)の活動が低下するとともに、島皮質の活動が高まります。というのは、物語の自己(エピソード記憶)の形成にはDMN時に活発になる内側前頭前野(記憶検索中枢)が関与します。
このように見て来ると、瞑想(特に観察瞑想)は、「自我」=「エピソード記憶」(自伝的記憶)と距離を置く働き(脱中心化機能)も持っているといえます。
なお何らかの課題に取り組む際に働く神経ネットワークをセントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(CEN)というのですが、瞑想においては、集中瞑想をしているときにはCENが活性化し、観察瞑想で雑念が浮かんだときにはDMNが活性化しており、雑念に気付いた(客観視できた、ふと我に帰った)ときにはSNが働いています。そのSNは島皮質と前部帯状回とで構成されています。