悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

5-6)瞑想と意識 5-6-2-1)受動意識仮説

5-6)瞑想と意識

5-6-2-1)受動意識仮説
まずは意識についてのある理論「受動意識仮説」を紹介します。その前に、一般的な意識についての定義は、1)「起きている状態」(受動性意識状態:覚醒)で、しかも自分の今ある状態や、周囲の状況などを2)「認識できている状態」(能動性意識状態)を指します。
意識を別の角度から見ると、認知(認識)を取りに行く1)積極性意識(トップダウン処理:注意と選択)と、情報の方が飛び込んで来るのを受け取る2)受動性意識(観察用意識)とがあります。ところが、3)無意識とは、情報が意識にまで上がって来ない段階(自律分散処理機能)に留まり、積極性意識では制御できません。
あらためて紹介するのは、「受動意識仮説」です。それは、意識を、自己(自我)を形成する為の窓口(エピソード記憶の通用口)だという。
もう少し詳しく説明すると、「受動意識仮説」は、人間の意識を、司令塔みたいな能動的な(自由意思)主体でなくて、「受動的な観察者」のようなものだという。これを提唱したのは、慶応大学大学院の前野隆司教授です。人間はエピソード記憶を生成するために受動的に意識があって、意識が能動的に意思決定しているわけではなく、意思決定の0.数秒前に無意識の下位神経ネットワークが既に意思決定をしています。
例えば、意識に昇る自由意思が、指を曲げようと思う0.35秒くらい前に、既に脳の運動野(補足運動野)の神経が、指を曲げるための準備を始めています。つまりトップダウン処理する能動性意識(自由意思)ですらも本物の自由意思ではなく本当に決定権を持つのは無意識過程(前頭葉運動野)だという。
注)前頭葉補足運動野は、外部からの指示ではなく自発的な運動の開始に寄与しています。自発運動の開始に先行して補足運動野領域から運動準備電位が発信されます。
エピソード(日々の経験)を個人的に、一人の個人として体験しなければならない。そのわけは、下位の無意識の多種多様な処理を一つにまとめて個人的な体験に取り纏める必要があるからです。逆に取り纏めなかったらどうなるでしょうか。心の中が戦国時代になります。下位機能(自律分散処理機能)が互いに主導権を取ろうと群雄割拠状況です。という訳で、意識は豊臣政権や徳川幕府です。これによって、自我による自我のための、誕生から死まで統一されたアイデンティティ(自己同一性)が成立します。
注)実際には、心の中で頻繁にクーデターが発生しています。また心の中に数人の別人格がいて、主導権を争っている人もいます。全国統一は難事業です。
私は受動意識仮説についてはその通りだと確信します。ところで、自分(自我)とは誰なのでしょう。起きている間、意識と無意識とに別れていて、私は意識の方に居ると感じているが、意識を消して、その意識領域を無意識側に組み込んで、脳全体を無意識状態になる悟り(心身脱落)状態(主体という意識がいなく)でも、何の不自由もなく活動できます。ただただ脳(厳密には脳内の全体情報)が自発自展するだけです。そこには操作者(司令員)が消失しています。