悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

5-7)瞑想と自我防衛機制 5-7-2)自我防衛機制と人格の統合性

5-7)瞑想と自我防衛機制

5-7-2)自我防衛機制と人格の統合性
不安や心身の苦痛や精神的罪悪感などから、人格の統合性を維持することが困難な事態に直面したとき、自我は、自分自身を守り、その崩壊を防ぐために、さまざまな努力を無意識の下に行って、人格の統一性・統合性を保持しようとします。
例えば、欲求不満や不安を無意識下に抑え込んで(意識に即ち自我に昇って来ないように)忘れてしまおうとしたり、最もらしい理屈や理由をつけて自我を正当化しようとしたり、本来のではなく他の欲求に置き換えて代理的な満足をしようとしたりします。
ところで、上に登場した人格の統合性を維持するとは、具体的には何をすることなのでしようか。例えば、自分で自分自身を制御することが不能になる、つまり自分の中に統合(受容)できなく自分を脅かす情報がある場合には、人格(自我)から切り離して(即ち意識から切り離して無意識下に押し込めて)心の安定を図ろうとしがちです。この心理的な無意識下の仕組み(防衛機制)は、自我を守りはするが、残念ながら心全体の統一性・統合性を確立ができません。つまり自我が、心全体の領域を制御・統制仕切れていないことを意味します。心の中に、自我に従わない独立領域(オートポイエーシス)が存在することを表します。このような無意識的自我防衛をしている限り、意識(自我)からは制御不能になる、つまり自分(自我)の中に統合出来てないもの(独立王国)があることを意味します。極端には、自我の崩壊、人格(パーソナリティ)の崩壊が起こりかねません。
ユングは、自我に従わない独立領域をコンプレックスと呼びます。それは、意識には受け入れがたい感情、例えば苦痛、恐怖感、羞恥心などの集まり(塊)をいいます。そのため、通常は自我によって抑圧(切り離)されて意識されることはありません。それ故に、その意識化はそれらの嫌悪感、無力感、罪悪感を伴うために心理的苦痛を伴います。