悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

5-8)瞑想(静慮・禅定段階) 5-8-1)瞑想の過程(おさらい) 5-8-1-3)ヴィパッサナー

5-8)瞑想(静慮・禅定段階)

5-8-1)瞑想の過程(おさらい)
5-8-1-3)ヴィパッサナー
次には、「ヴィパッサナー」瞑想・「マインドフルネス」(観察瞑想)などの観察瞑想を実践することで、前の段階で完成した注意制御を方向、強さ、固定性、持続性、選択性、拡大性などを自在に使いこなします。これまでの集中瞑想のようには特定の対象を設けることなく、「今この瞬間」に自分の心身の中で次々と生じている様々な感覚・体内感覚・感情・欲求・思考(ボトムアップ情報)・雑念などに気づいていられるように、心の視野を狭めてしまうトップダウンの選択的注意(能動性意識)を低下させながらも弱い注意(受動性意識)の制御性を高めるといった注意制御の能力を更に育むと同時に、反応したり判断したり囚われたりしないための(焦点を定めない)「平静さ」(執着のなさ)といった情動調整の能力をも育むことが求められます。
今この瞬間に次から次へと生じている雑念。観察瞑想では、それが何であっても特定の対象として選び出したり捉われたりすることなく、かといって意識(能動性意識)的に反らしてはダメで、それらの経験の流れにただ気づいている(受動的に意識化する)だけに留めます。それをあるがままを受け入れる(受容する)という。それが習慣化することによって、日常的にトップダウンの選択的注意が低下し、またかといってボトムアップ的注意にも囚われることのない平静さ(平常心・執着性のなさ)が高まります。この平常心とは、凪、即ち波立たない真っ平らな心をいう。「平常心、これが道」です。悟りへの一歩前進です。
観察瞑想によって、雑念、エピソード記憶防衛機制など、の出しゃばりを囚われることなく意識化することによって、最終的に意識(前頭前野)の下に完全統合が果されるまで続けます。しかし、集中瞑想から観察瞑想へ切り替え始めると、自然と雑念やエピソード記憶、過去の経験などなどが心の表面に次から次へと自然に浮かび上がって来ます。それは沸き立つ湯に発生する泡のように次々と浮かび上がって来ます。この段階はかなり長い旅路になります。自我の防衛機制はかなり厄介で何年も何年ももがかねばならない手こずる無意識機制です。それであっても根気よく続けるとやっとの思いで意識の下に総ての統合を果たせます。