悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

2)過去の人々の(悟り)証言 2-6)「西田幾多郎」の「統一力」

2)過去の人々の(悟り)証言

2-6)「西田幾多郎」の「統一力」
明治から昭和にかけて生きた哲学者西田幾多郎が、場所的論理とは、「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」という。参禅によって悟りを開いた西田の代表的著書「善の研究」で、「神とはこの宇宙の根本」という。「外は日月星辰の運行より内は人心の機微に至るまで悉く神の表現でないものはない、我々はこれらの物の根柢において一々神の霊光を拝することができる」という。
「自然の現象の背後に、一つの統一力が支配している。学問の進歩とはかくの如き知識の統一をいう。外は自然の根柢において一つの統一力の支配を認むるように、内は人心の根柢においても一つの統一力支配を認めねばならぬ」という。つまり外界の自然世界で働く統一力が、内界の心(脳)の世界でも同様に働くという意味です。瞑想とは、西田のいう、「内は人心の根柢においても一つの統一力支配」が完全に行き渡るように、つまり神の統一力支配が各人の心の完全統合を完成するように、自我を無我へと切り替える作業なのです。自我から無我へと相転移した瞬間が悟りです。
西田は、様々な言葉を用いて、神を表現しています。この純粋意識(純粋経験)の統一力、意識の統一力、宇宙の統一力、統一的或者、超個人的統一、宇宙的意識統一、唯一の者の自発自展、唯一実在の唯一活動、有即活動、独立自全なる無限の活動、真の自己、真実在、神人合一、神人同体、精神と自然とを合一した者、宇宙の本体、宇宙の根柢たる一大人格、などともいう。
「我々の欲望は大なる統一を求むるより起るので、この統一が達せられた時が喜悦である。善と快はどこから生まれるのか。最深最大の合一力(統一力)としての愛からである」。外宇宙全体ばかりか心の原動力も統一力だという。
「自己を忘れ、ただ自己以上の不可思議力が独り堂々として働いている。この時が主もなく客もなく、真の主客合一精神は実在の統一作用であるが、統一の裏面には必ず矛盾衝突を伴う。この矛盾衝突の場合には常に苦痛である。無限なる統一的活動は直にこの矛盾衝突を脱して更に一層大なる統一に達せんとするのである。この時我々の心に種々の欲望または理想を生ずる」。
「無限なる統一的活動は直にこの矛盾衝突を脱して更に一層大なる統一に達せんとするのである」は、「ヘーゲル弁証法」を見事に言い表しています。