悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

1-1)宇宙原理、法(仏教)、道(道教)、ことば(キリスト教) 1-1-5)道教の「道」

1-1)宇宙原理、法(仏教)、道(道教)、ことば(キリスト教)

1-1-5)道教の「道」

道教では、宇宙原理を「道」(タオ)と言い表しています。「道」(タオ)とは、宇宙自然の普遍的法則、根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味します。道は、超越的で人間には捉えがたいものだが、「天地万物を生じる」という働きをし、「気」という形で「天地万物の中に普遍的に内在」しているという。
注)道教とは、道(タオ)を説き不老長寿を究極の理想とする中国で生まれた宗教です。
老子が説いた道の概念が、道教思想の根本になっています。道教においては、不老長生を得て「道と合一」することが究極の理想として掲げられました。宇宙原理としては、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて陽を抱き、冲気をもって和を為す」という。何となく、正反合の弁証法を思い浮かべます。
注1)老子は紀元前6世紀に生存した哲学思想家で、伝統的に老子道教を創立させたという。
注2)仏教で中道、儒教で中庸、道教では冲という。
老荘思想」(老子を祖とし荘子らが継承発展させた思想)は、人為的な儒学思想を批判し、根源的な自然の道に従う「無為自然」の生き方を主張しました。その無為自然とは、老子の説く人間の生き方で、この宇宙に貫徹している原理原則(道)に添った生き方(無為自然)をします。言い換えると、「無為自然」とは、宇宙のあり方に従って、自然のままであること、手(人為)を加えないことという意味です。
私には、儒学思想で止揚して道教思想に至るのが良いのではないかと思います。