悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

1-2)宇宙原理の階層構造 1-2-3)「法」の階層構造 1-2-3-5)仏性法則

1-2)宇宙原理の階層構造

1-2-3)「法」の階層構造
1-2-3-5)仏性法則

ここで「仏性法則」という言葉を仮に立てましたが、中身については、法・道・ことばを指しています。ただし法・道・ことばは、仏性法則だけではなく最低(物理法則)から最高(人間法則)までのあらゆる法則を包摂する包括的用語です。
生命(生物)は、細胞膜を持つ細胞を獲得することで、環境からどんどんと自律を高めて行きました。ここで、上で述べた「ヘーゲル弁証法」を思い出して欲しいのです。あらためて説明しますと、弁証法は、定立(正・テーゼ)、反定立(反・アンチテーゼ)、総合(ジンテーゼ)の三段階で構成される論理です。「環境」を定立と見ると、「生物」は細胞を獲得することで反定立(環境からの自律性を獲得)しました。人間に至っては反定立が限界を超えつつあります。そろそろ次の、総合(止揚)する段階に来ています。人間は環境から余りにも反定立し過ぎてしまいました。そろそろ環境との間で総合(止揚)すべき時期です。総合・統合するとは、もう一段高い階層に昇ることを意味します。その階層は、人間階層(人間法則)よりも一段高い階層なので、仮に私はそれを仏性法則(仏性階層)と呼びます。その人間法則の上に位置する仏性法則を感得する手段・能力を獲得した瞬間を悟りだと私は見ます。
次に進む前に、論語(為政)にある孔子の有名な言葉をここで提示します。「孔子」はいう、「十有五にして学を志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして己の欲する所に従えども矩を踰こえず」と。東洋に倫理(道徳)を宣べ広めた孔子がいう「矩」は当然人為の矩なのだろうが、上で紹介した言葉の矩には、私には無為自然の矩だと思えるのです。
個人に密着している感情に支配・影響された自我は、個性を守る方向に機能します。それを超越して行くには「社会性」を高める努力をしなければならない。孔子はそれを目指しました。しかしそれはあくまで人間世界内で通用する法則に過ぎません。
自我が依る「人為の矩」から、人為を超越した宇宙全体に通用する「無為自然の矩(道・法)」に依る生き方への切り替えの瞬間が、悟りなのだと思えます。
仏教では「自灯明、法灯明」(自らをよりどころとすると同時に、ダルマ(法)をよりどころとする)という。この場合の「自」とは、「法に従う仏性を持つ自己」を意味していると思います。内面に仏性を持つ自己は、必然的に「法・道・ことば」を求める存在です。