悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

5-8)瞑想(静慮・禅定段階) 5-8-6-1)仏性(如来蔵)と悟り

5-8)瞑想(静慮・禅定段階)

5-8-6-1)仏性(如来蔵)と悟り
今まで瞑想を中心として、脳科学、心理学、哲学、宗教などなどを交え、悟りへの過程を述べてきました。悟りは仏教用語といってもいい言葉なので、ここで仏教的な説明もします。
あらためて仏性とは、一切の衆生が備えている、仏(如来)になれる本性をいう。涅槃経では、仏性はすべての衆生に内在すると説き、それを生得仏性という。心は、自性(本来、生まれつき)清浄であるが、ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れています。つまり人々が本来持っている「自性清浄心」に悟りの可能性を見ています。事実本来の自性清浄心に帰り着いた悟り人は多くおられます。「清浄心」とは、波一つないべた凪状態といえます。ところが俗人の心は、常に煩悩や雑念で波立ち、時には暴風雨となり、悩み(苦)が尽きません。悟りは、厳密にいえば、私的にいえば、その清浄心に帰り着いたのではなく、一段高い階層に昇ったといえます。
仏性(統一力)を開発し自由自在に発揮することで、「煩悩」が残された状態であっても、全ての苦しみに煩わされることのない(人間階層から成仏階層へ)境涯を開くことができます。仏性が顕現し有効に活用されている状態を「成仏」と呼び、仏法修行の「究極の目的」とされています。成仏しないのは、煩悩(自我防衛機制など)が付着(意識から分離)してそれについつい突き動かされてしまうからです。仏教において最高の悟りを得た境地(阿羅漢)に達すると迷いの輪廻から脱して涅槃に至ることができます。