悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

5-6)瞑想と意識 5-6-1)意識とメタ認知と悟り(心身脱落)

5-6)瞑想と意識

5-6-1)意識とメタ認知と悟り(心身脱落)
第二章(2-2)で紹介した道元禅師が、中国での坐禅修行中、隣の修行僧が坐禅中に居眠りをしているのを見た導師(如浄禅師)が、「参禅は心身脱落なるべし。只管に打睡して、なにを為すに堪えんや」と一喝しました。この言葉を聞き、道元禅師は悟りを開きました。
この逸話は、覚醒(意識の起動)していないと、悟りは開けないという内容でもあります。なお悟りとは、覚醒中でありながらも、意識(メタ認知機能)が消失(スイッチオフ)している状態で、その状態を一喝によって打ち破られて、はたと自分が悟り状態に入っていたと理解(メタ認知が起動)できます。つまりその瞬間に意識(メタ認知)が立ち上がったのです。
逆からいえば、心身脱落とは、勿論本物の心身が自分から物理的に離脱することではなく、心身を意識するメタ(上位)意識が脱落(消失)することです。その結果、「ただ行為だけ」があって行為者(主体・主人公・肉体感覚)がいない、より厳密に言えば、行為を意識(フィードバック情報を受け取る)する「主体の消失」(自我の消失・無我)です。これを別の角度から言えば、「主客合一」(神の住む楽園での生活)です。その時には、一体化していた神から追放(分離・離脱)されたあなた(自我、意識)がではなく、「父母未生以前の本来の面目」(仏性)が堂々と働いています。あなた(自我)がではなく神が弓を放ちます、仏がお経を唱えます。