悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

5-8)瞑想(静慮・禅定段階) 5-8-2-1)「ディヤーナ」(静慮・禅定)とは

5-8)瞑想(静慮・禅定段階)

5-8-2-1)「ディヤーナ」(静慮・禅定)とは
ようやくにしてここからはまだ説明をしていない新しい段階にたどり着きました。人格の完全統合を果たしたら、その旅路の終着点は、既に弱めていた意識・自我(前頭前野)の働きそのものを停めることです。釈迦が苦行(注意力を鍛える修行)を放棄して、ブッダガヤ、即ち釈迦が悟りを開いた場所に辿り着けたのです。苦行ではないにしてもかなり長い修行(瞑想)が必要だったことはご理解いただけるでしょう。黙照禅、只管打坐、瞑想は、座っているだけにしか見えなくとも、脳内では大きな変化が起きていたんですね。
これは、あたかも長い長い階段をふうふう言いながらやっと頂上(意識の下での完全統合)に辿り着いたと思ったら、今度はここから谷底に飛び込めと言われるのです。あたかもバンジージャンプの如くです。
いくつもの高い高いハードルを越えて、意識の下に人格の統合が完成すれば、即ち脳内の情報を全て統合する一大機構(システム)が完成すれば、次の段階に進めます。それは「ディヤーナ」(静慮・禅定)です。
「ディヤーナ」(静慮・禅定)とは、「心(意識)の働きを静め、澄み切った状態」になることです。心の動きを止めた状態が、「無」になっているということ、つまり「ディアーナ」です。「全体集中という意識(無意識)の流れが、途切れることなく続く状態」を指しています。なお自我の働きとは、「意識を起動」させることです。意識を起動させると、意識が心の中心になってしまいます。その意識は、前頭前野にあります。今までこれまで心全体を統合するその統合拠点(中枢)は前頭前野でした。それは下位の階層が主導権を握っていた段階で、各階層に次々に主導権を放棄させて、その上位階層に譲位する方法が、観察瞑想だったのです。そして最高階層の自我(意識)が全権を獲得した時点で、自我(前頭前野・意識)にその主導権を放棄させることが、「ディヤーナ」(静慮・禅定)の目的です。なぜなのでしようか。それは、前頭前野(自我・意識)には脳内全体を流れる情報全てを掌握する強さ・広さ・深さ・高さがないからです。

注)ある女性が「魔法のような心の平穏」を体験したといいます。 彼女によれば、左脳が休眠し同時に右脳は覚醒を保つという特殊な組合せ状態だったそうです。

全くの余談ですが、フランスにおいて、領地所有の上に立つ貴族と高級聖職者が権力を独占していた状況が破壊され、ブルジョワジーと呼ばれる商工業、金融業の上に立つ者が権力を握った変化をフランス革命という。独裁政治から民主国家への歩みの途上の出来事でした。一挙に独裁政治から民主制政治へとは行かないものですね。であっても、独裁制(強い意識、積極性意識)から民主制(弱い意識、受動性意識)へは自然な流れなのでしょう。