悟りへの瞑想の道を脳科学から解説

悟りとはどうなることなのかを、瞑想で悟りを得る道筋を脳科学から具体的に解説して行きます

5-4)観察瞑想と雑念 5-4-1)雑念

5-4)観察瞑想と雑念
5-4-1)雑念
瞑想(特に観察瞑想)では、外界から来る五感(感覚情報)に基いて働く意識の浅い層(感覚情報層・主に視床・今ここ)(大脳新皮質第一次感覚野)の働きを鎮めることになります。その結果、意識の深い層(大脳辺縁系大脳新皮質連合野)からさまざまな記憶やそれに伴う情動が引き出されるという反応が起こりやすくなります。これは睡眠中で、しかもレム睡眠レベルでも、同じ意識の深い層からの経験記憶情報が浮上して来ます。
つまり瞑想初心者には、無意識から浮かんで来る考えや、自然に湧いてくる過去の経験など、不可避的に起こる雑念に囚われて、惑わされてしまいます。であっても、雑念が浮かんで来ること自体は自然な状態です。問題なのは、頭と心がそれらに支配されたり、無視できないほどに囚われたりする状況に陥ることです。集中瞑想にしろ観察瞑想にしろ、心(注意・意識)を固定させることが重要だからです。
野生生物にとっては、外部からの危険の発生に備え、常に周囲に意識(感覚機能)を向けていることが、生命維持にとって必要不可欠です。つまり外部に向う感覚機能を常に警戒状態に保っておかねばならない。だから内面に注意を集中させるには、野生(生活)は、不向きな生き方なのです。
仕事などで忙しい外向主体の人の場合には、内面に少し注意が向くと、待ってましたとばかりに、過去の後悔や未来への不安といったボトムアップ雑念が次から次へと浮上してそれらに気を取られ、今この瞬間に集中できないことが多い。自分にとって関心があり、しかも未解決となっている課題、心の奥底で気になっている出来事・経験などが心の中には雑念の種で満ちあふれています。解消されていない状態の心配ごとや気がかりな案件が、意識に向けて雑念としてポップアップして来ます。瞑想(特に観察瞑想)は、心の整理整頓にもなります。
自分の内面(心)と向き合うことは大切なことです。というのは、自己をより深く理解することができるようになるからです。それは、年輪のように、心も何層もの層構造になっていて、本心は何層もの積み重ねられた芯の部分を意味します。最初に浮上するのは表面的な内容であり、そこ(底・本心)にたどり着くには内面(心)に深く沈み込む必要があります。